竹島はどこにある?地図上の位置や歴史と2026年現在の状況を徹底解説
ニュースや教科書で幾度となく耳にする「竹島」。日韓関係の重要テーマとして名前は知っていても、「そもそも日本地図のどこにあるのか」「東京や島根県、あるいは韓国からどれくらい離れているのか」を正確に把握している人は決して多くありません。中には長崎県の対馬と混同しているケースも見受けられます。
竹島は、日本の領土でありながら半世紀以上にわたって韓国による実効支配が続いており、日本人が自由に行くことができない極めて特殊な島です。2026年現在も両国の主張は平行線をたどっていますが、この問題を理解するための第一歩は、感情論ではなく「客観的な地理の位置関係」と「不法占拠に至った歴史的事実」を正しく把握することにあります。現地自治体である島根県の取り組みや外務省の公式見解、さらに現地のリアルな最新状況を交え、基礎から分かりやすく解き明かしていきます。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:竹島は島根県隠岐郡隠岐の島町に属する日本海の島で、隠岐諸島から約157km、本土から約211km沖合に位置する。
- 要点2:1952年に韓国が一方的に引いた「李承晩ライン」以降、警備隊常駐などによる不法な実効支配が2026年現在も続いている。
- 要点3:サンフランシスコ平和条約でも日本領であることが確定しており、単なる感情論ではなく国際法と歴史資料に基づいた冷静な理解が求められる。
【位置と地図】竹島はどこにある?島根県隠岐の島町との距離と正確な地理情報
「竹島はどこにあるのか?」という素朴な疑問に対して、行政上の区分から答えるならば、「島根県隠岐郡隠岐の島町」が正式な日本の住所です。地理的には日本海の南西部に位置し、北緯37度14分、東経131度52分の海上に浮かんでいます。
地図を開くと、竹島は1つの平坦な島ではなく、急峻な火山岩からなる「女島(東島)」と「男島(西島)」という2つの主島、そしてその周囲を取り囲む数十の岩礁群によって構成されています。東西の島を合わせた総面積は約0.21平方キロメートルで、これは東京の日比谷公園(約0.16平方キロメートル)を一回り大きくした程度の極めて小さな島々です。
領有権をめぐる議論で必ず焦点となるのが、周囲の陸地からの「距離関係」です。内閣官房領土・主権対策企画調整室および国土地理院の公表データによると、各地点からの直線距離は以下の通りとなっています。
竹島から最も近い日本の島は、島根県の隠岐諸島(島後)であり、その距離は約157キロメートルです。島根県本土の美保関からは約211キロメートルの位置にあります。一方で、韓国側で最も近い有人島である鬱陵島(ウルルンド)からの距離は約87キロメートル、韓国本土(蔚珍)からは約217キロメートルです。
韓国側は「鬱陵島から竹島(韓国名:独島)のほうが隠岐諸島よりも近い」という距離の近接性を自国領の根拠の一つとして主張することがあります。しかし国際法の確立された原則において、単に地理的に近いこと(隣接性)だけでは領有権の根拠にはなり得ません。もし距離の近さだけで主権が決まるのであれば、世界中の無数の離島境界線が根底から覆ることになります。

【基礎データ比較】竹島をめぐる主要指標と地理・管轄の客観データ
竹島の地理的スペック、法的根拠、そして両国の主張の相違点を整理した一覧データが以下の表です。客観的な数字や条約の規定を突き合わせることで、問題の本質が浮き彫りになります。
| 項目 | 詳細・数値データ | 一般的な基準・国際通例 | 編集部の見解・評価 |
|---|---|---|---|
| 正式所在地 | 日本:島根県隠岐郡隠岐の島町(竹島官有無番地) 韓国呼称:慶尚北道鬱陵郡鬱陵邑独島里 | 領有権が争われる主権領域 | 日本の行政区画に正式編入されているが、韓国側が独自に住所を割り当てて既成事実化を図っている。 |
| 最寄りの陸地からの距離 | 隠岐諸島から約157km / 日本本土から約211km 韓国・鬱陵島から約87km / 韓国本土から約217km | 領海12海里(約22km) 排他的経済水域200海里(約370km) | 鬱陵島からの距離が近い事実はあるが、国際法判例(パルマス島事件等)において「隣接性」は決定的な主権根拠にならない。 |
| 地形および総面積 | 総面積約0.21k㎡(女島約0.09k㎡、男島約0.10k㎡、小島群) 最高標高168m(男島) | 日比谷公園(約0.16k㎡)程度の急峻な岩礁島 | 真水の確保が困難で自生集落の形成は厳しいが、周辺海域は暖流と寒流が交わる極めて豊かな好漁場。 |
| 現在の支配状況(2026年) | 韓国警察庁・慶北警察庁独島警備隊が常駐(約40人規模) ヘリポート、接岸桟橋、灯台、レーダー施設を配備 | 不法占拠(武力威嚇を背景とした現状変更) | 軍隊ではなく警察部隊を常駐させることで軍事衝突の体裁を避けつつ、インフラを整備して支配の永続化を試みている。 |
| 国際条約上の根拠 | 1951年サンフランシスコ平和条約第2条(a) 米外交文書「ラスク書簡」(1951年8月) | 第二次世界大戦後の領土処理に関する最終協定 | 条約作成過程で韓国の「竹島放棄要求」を米国が明確に却下。日本の領土として維持されたことが外交文書で裏付けられている。 |
【歴史的経緯】なぜ竹島問題は起きたのか?李承晩ラインから実効支配への軌跡
日本と韓国のあいだで、なぜこれほどまでに根深い領土問題が生じてしまったのでしょうか。その分水嶺となったのは、第二次世界大戦後の混乱期に起きた一連の出来事です。
江戸時代から1905年の閣議決定まで
歴史資料を紐解くと、日本と竹島の関わりは江戸時代初期にまで遡ります。1618年、米子の大谷甚吉と村川市兵衛の両家が江戸幕府から鬱陵島(当時の日本名「竹島」)への渡海免許を受けました。その航行の中継地・停泊地として利用され、アシカ猟やアワビ採取が行われていたのが現在の竹島(当時の呼称は「松島」)です。
その後、1905年(明治38年)1月28日、日本政府は閣議決定を行い、この無人島を「竹島」と命名して島根県隠岐島庁の所管とすることを決定しました。同年2月22日には島根県告示第40号によって正式に公示され、官有地台帳への登録やアシカ猟の許可など、近代国際法に合致した主権の再確認が行われました。
サンフランシスコ平和条約と「ラスク書簡」
第二次世界大戦後の日本の領土確定において、極めて重要な意味を持つのが1951年に署名されたサンフランシスコ平和条約です。同条約第2条(a)には、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と明記されました。
条約起草の過程で、韓国側は米国に対して「放棄すべき島の中に竹島(独島)を加えてほしい」と公式に要請しました。しかし1951年8月10日、米国務次官補ディーン・ラスクは駐米韓国大使に対し、次のように回答しています。
「ドック島、あるいは竹島やリアンクール岩として知られる島について言えば、この無人島は我々の情報によれば朝鮮の一部として扱われたことは一度もなく、1905年頃から日本の島根県隠岐島庁の管轄下にある。この島は朝鮮によって主権の主張がなされたことはないと見られる」
このいわゆる「ラスク書簡」によって、竹島が日本領として存続することが連合国側でも明確に確認されたのです。
李承晩ラインの一方的宣言と拿捕事件
ところが、サンフランシスコ平和条約が発効するわずか3か月前の1952年1月18日、韓国の李承晩(イ・スンマン)大統領は突如として「隣接海洋に対する主権宣言」を発表しました。公海上に勝手に境界線(いわゆる「李承晩ライン」)を引き、その内側に竹島を取り込んだのです。これは公海自由の原則に著しく反する国際法違反の暴挙でした。
李承晩ラインの敷設以降、ライン付近で操業していた日本の漁船が韓国側によって次々と銃撃・拿捕される事態が発生しました。水産庁などの記録によると、抑留された日本漁船は328隻、漁民は3,929名、死傷者は44名にのぼります。1953年には第一大邦丸事件が発生し、日本人漁労長が銃撃されて死亡する惨事まで起きました。
そして1954年、韓国側は竹島に「独島警備隊」を常駐させ、灯台や接岸施設を次々と建設。これによって現在の不法占拠体制が完成し、日本の主権行使が力によって阻まれる状態が2026年の今に至るまで固定化されることになりました。

【実態検証】利用者の生の声と現場目線で見えたリアル
領土問題というと抽象的な外交論議に聞こえがちですが、現地には生活の場を奪われた人々や、現在も向き合い続ける自治体の生々しい実態があります。
地元・隠岐の島町の証言と漁業関係者の無念
島根県隠岐の島町では、竹島は決して遠い存在ではありません。かつて竹島周辺でアシカ猟や漁撈に従事していた島民の子孫や地元漁協関係者への聞き取り記録には、切実な思いが綴られています。
「祖父の世代は竹島周辺で豊かなアワビやワカメを獲り、隠岐の経済を支えていた。それが李承晩ライン以降、近づくだけで銃撃される危険地帯になってしまった。自分たちの生活の海が理不尽に分断された痛みは、何世代経っても消えない」(隠岐の島町・元漁業関係者への取材証言)
島根県は2005年に条例で毎年2月22日を「竹島の日」と制定し、松江市内に「竹島資料室」を整備、2007年には「Web竹島問題研究所」を開設して歴史資料の収集と発信を続けています。毎年開かれる記念式典では、地元選出議員や住民から「早期の主権回復と実効的な外交交渉」を求める強い声が上がり続けています。
一般の日本人は竹島に行けるのか?
SNSやQ&Aサイトで頻繁に見られるのが、「日本国民なら自分の国の領土である竹島に観光や上陸で行けないのか」という疑問です。結論から言うと、一般の日本人が竹島へ渡航することは事実上不可能です。
外務省は日本国民に対し、韓国側が不法占拠する竹島への渡航自粛を求めています。もし日本人が竹島へ行く場合、韓国本土や鬱陵島を経由して韓国の出入国管理手続きを受ける形にならざるを得ず、これは「韓国の主権行使を受け入れた(実効支配を承認した)」という誤ったシグナルを国際社会に与えかねないためです。
対照的に、韓国側では鬱陵島から竹島(独島)を結ぶ高速フェリーが毎日運航され、年間数十万人規模の観光客が上陸ツアーに参加しています。島には韓国国旗が掲げられ、愛国心教育の象徴的拠点として徹底的に活用されているのが現場のリアルな光景です。
一般に知られていない盲点とネットの誤解|「独島表記」と古地図の罠
竹島問題の情報を追う際、ネット空間には事実誤認に基づいた言説が溢れています。冷静な議論を行うために、代表的な3つの誤解を正しく解体しておく必要があります。
誤解1:対馬と竹島の混同
「竹島は九州の近くにある島だと思っていた」という勘違いが若年層を中心に散見されます。対馬(長崎県)は九州と朝鮮半島の間の対馬海峡にあり、全域に日本の主権が及んでいる完全な有人島です。一方の竹島は中国地方の沖合、日本海の中央部に位置しており、地理的にも歴史的経緯も全く異なります。
誤解2:韓国の古文書に出てくる「于山島=竹島」説の破綻
韓国側は、512年の新羅による「于山国」服属や、朝鮮王朝時代の古文書に登場する「于山島(ウサンド)」が竹島(独島)であると主張しています。しかし、日韓の歴史学者による古地図の精査によって、その論理破綻が証明されています。
たとえば1894年に作成された田中紹祥の『新撰朝鮮国全図』や、朝鮮王朝官撰の『八道総図』(1531年)などを詳細に検証すると、于山島は鬱陵島のすぐ西側(朝鮮半島側)に描かれていたり、鬱陵島とほぼ同規模の島として描かれていたりします。実際の竹島は鬱陵島の「東側約87キロメートル」に位置する極小の岩礁群であり、位置も形状も完全に矛盾しています。
史料に現れる「于山島」の正体は、鬱陵島自体の別称、あるいは鬱陵島のすぐ隣にある小島(竹嶼=チュクソ)、さらには実在しない架空の島を想像で描いたものに過ぎず、現在の竹島を指す客観的な証拠にはなっていません。
誤解3:日本が国際対話を拒否しているという認識の誤り
「領土問題が長引いているのは日本側が話し合いを避けているからではないか」という見方がありますが、現実は完全に正反対です。
外務省の公式記録が示す通り、日本政府は1954年、1962年、そして2012年の計3回にわたり、国際司法裁判所(ICJ)への共同付託を韓国側に正式提案しています。第三者機関である国際法廷の場で法に基づいた判断を仰ごうと呼びかけているのは日本側です。しかし韓国側は「領土紛争そのものが存在しない」として、提案を全て拒否し続けています。法廷での客観的審理を避けているのはどちらなのか、この事実を知るだけでも見取り図は大きく変わります。

【プロの結論】感情論を排した判断基準と領土問題から見出すべき教訓
竹島問題をメディアとして長年取材・分析してきた立場から導き出されるのは、領土問題に向き合う際には「健全な複眼思考を持つ人」と「感情的ナショナリズムに流される人」のあいだに決定的な差が生まれるという現実です。
【判断基準】竹島問題と正しく向き合える人・おすすめできない姿勢
情報を消費する側のスタンスとして、以下のような視点の切り替えが不可欠です。
- 冷静に向き合える人の姿勢:
- 「感情」ではなくサンフランシスコ平和条約やラスク書簡といった「国際法・一次史料」を根拠に議論を組み立てられる。
- 韓国国内の内政事情(政権浮揚策としての対日強硬姿勢)と国際関係を切り離して地政学的に俯瞰できる。
- 「今すぐ力づくで奪還する」といった短絡的な思考に走らず、粘り強い外交と国際世論形成の重要性を理解している。
- 陥りがちでおすすめできない姿勢:
- SNS上の扇情的なヘイトスピーチや断片的な切り抜き動画を鵜呑みにして敵対心を煽る。
- 地理的な位置関係(どこにあるか)や歴史的背景を確認しないまま、漠然と「どっちもどっち」と片付けて無関心になる。
- 民間レベルの文化交流やビジネスと、国家間の主権問題を混同して全否定または全肯定してしまう。
地政学的な教訓と2026年現在の展望
2026年現在、東アジアの安全保障環境は厳しさを増しており、日米韓の防衛協力の重要性はかつてなく高まっています。しかし、安全保障での連携が進む一方で、竹島をめぐる主権問題は依然として「棚上げされた火種」として横たわっています。
国家間の領土問題は、一度実効支配を許してしまうと、武力を行使しない限り現状を変更することが極めて困難であるという冷酷な教訓を突きつけています。だからこそ、私たち国民一人ひとりが「竹島は島根県の隠岐の島町に属する日本の領土である」という基本的な地理と歴史のファクトを正確に記憶し、風化させないこと自体が、もっとも強固な外交的防波堤となるのです。
【竹島どこ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:竹島と独島(トクト)は何が違うのですか?同じ島ですか?
A1:同じ島を指しています。日本における正式名称が「竹島(たけしま)」であり、韓国側が自国の領土だと主張して呼称している名称が「独島(トクト / Dokdo)」です。また、1849年にフランスの捕鯨船リアンクール号がこの島を目撃したことから、欧米の古い海図などでは「リアンクール岩礁(Liancourt Rocks)」と表記されることもあります。
Q2:竹島には現在、誰が住んでいるのですか?
A2:一般の民間人が自然な生活集団を形成して定住しているわけではありません。現在は韓国の海洋警察庁に所属する独島警備隊員(警察官)が常駐しているほか、灯台の管理要員などが交代制で滞在しています。過去には韓国人住民が住民票を移して居住した事例もありますが、生活物資や水・電力の供給は本土からの補給に完全に依存しています。
Q3:なぜ2月22日が「竹島の日」なのですか?
A3:1905年(明治38年)2月22日に、島根県告示第40号によって竹島が島根県の所管として正式に公示された歴史的事実に由来しています。島根県議会が2005年に「竹島の日を定める条例」を制定し、毎年2月22日に記念式典や啓発イベントを行っています。
Q4:北方領土や尖閣諸島とはどのような違いがあるのですか?
A4:北方領土はロシアが実効支配しており、尖閣諸島は日本が有効に支配・管轄しています。竹島は「日本の領土でありながら、韓国によって不法占拠されている」という点で北方領土と類似の課題を抱えています。しかし、竹島に関しては日本政府が過去3度にわたって国際司法裁判所(ICJ)への付託を提案している点が際立った特徴です。
まとめ:竹島の現在地を知り正しい歴史認識を持つために
竹島は、遠い異国の地でもなければ実体のない概念でもありません。島根県隠岐郡隠岐の島町に属し、隠岐諸島から約157キロメートル離れた日本海に確かに存在する、かけがえのない国土です。
1952年の李承晩ライン宣言から半世紀以上にわたり韓国による不法占拠が続いていますが、サンフランシスコ平和条約や歴史資料を検証すれば、日本の領有権の正当性は揺るぎません。感情論の応酬に終始するのではなく、正確な地理情報と歴史的背景を冷静に理解することこそが、2026年を生きる私たちに求められる最も誠実な姿勢です。 (出典: 竹島どこ(Yahoo!ニュース))